2011年07月13日

僕らに出来ることはある。

南相馬から戻り、ようやく心が落ち着いてきた。それでも写真を整理していると、へし折れた心の傷が痛み出す。先週の日曜日、南相馬市鹿島区のサッカー少年団にボールを持って行った。

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後輩から託されたボールは、無事に子供たちの手に渡った。「一言お願いします」とクラブを運営されている方から頼まれ、集まった皆さんの前でお話しをさせてもらった。「このボールを一杯蹴って、ボロボロになてしまったら、また来るよ!」という僕のメッセージに、キャプテンが代表で一言「大切にボールをつかわせてもらいます。今日はありがとうございました」と、深々と一例をした。

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先日まで遺体安置所として使用されていた体育館。鹿島区の子供たちの遊びの場は、現在放射能の影響や避難所、また小学校の体育館が、中学生の勉強の場だったりと、非常に限られているのが現状。また小学校へは、毎朝バスで安全な町まで行き、何校かの学校が集まって勉強をしている。

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子供たちの澄んだ綺麗な瞳が印象的だった。そんな彼ら一人一人と話していると、大好きな自然を憎んでしまいそうになる。震災前の普通の生活に戻してあげたい。僅かでも今、僕らに出来ることはある。

2011年07月10日

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2011年07月08日

南相馬の夕焼け

福島西ICを降りて、国道115号線に入った。所々で見られる震災の爪痕を横目に、南相馬を目指す。東京を出発したのが遅かったので、今日はゆっくり走って目的地に到着しようと決めていた。

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高速を降りてからは、田んぼと小さな山々の景色が広がっていた。車内に入り込む風は心地良かったけど、見えない放射能の事を考えると怖くなり、開け閉めを繰り返した。でも、農家の人や子供たちは、帽子もマスクもしないで歩いている。僕も結局、南相馬に到着する頃には、窓を全開にして車を走らせていた。

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夕日に染まる南相馬の空が、僕を歓迎してくれた。広いグラウンドに佇むゴールポスト。大地の土や草、赤く染まったこの空にも、見えない放射能があるなんて、とても信じられなかった。

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2011年07月07日

サッカー小僧に会いに行く

明日から一人でぶらり、東北へ復興支援の旅へと出掛けてくる。何が出来るかなんて、行ってみなくてはわからない。正直、不安が一杯。今回の地震や津波で多くの人が想い出の写真を失った。過去の写真は取り戻すことは出来ないが、今、僕に出来ることは、そんな人々に家族写真を撮ってあげること。大金は寄付できなくても、シャッターを押す事だけは得意だ。

今回は、友人のキヨシが車を提供してくれた。キヨシはいつも言葉少ないが、人情あふれる男だ。彼の協力なしには、被災地への旅は実現しなかった。彼の気持も背負って、東北へ向かいたい。

また、高校時代からボールを蹴り続けてきた友人のカズは、被災地へ行くことを仲間に伝えてくれた。すると後輩のウメから電話があり、ボール数十個、Tシャツ、フェイスタオル、フットボールキャップ、イベント用のシャボン玉の等々を、ダンボール三箱分もの物資を託してくれた。この気持が本当に嬉しい。

僕は南アフリカの写真展を行った際の写真を持って行く。何処かで写真を貼りだしてもらうことで気が紛れてくれれば・・・とも思ったが、こんなものは何の役にも立たないと、今から消極的になっている。でも、写真サービスは喜ばれるように頑張りたい。

被災地へのみんなの想いも背負って、僕は現地へと向かう。
事故のないよう、無事に届けてきたい。

被災地のサッカー小僧、待っていろ!!

2011年06月12日

安曇野の楓

大きな青々とした楓の葉が、風にくるくるとそよいでいる。田んぼの稲も、揺れている。安曇野の大地には、そんなのどかな風が流れていた。

友達の写真家、渡辺正和さんが、6月9日にこの世を去った。享年56歳。撮影中の事故だった。

僕は仕事が入っていたので、お通夜もお葬式にも行けないと諦めていた。でも、お通夜当日に雨が降り、撮影はキャンセルとなった。レンタカーに飛び乗った。

ナベさんとドライブした田舎道。田んぼの向こうに連なる山々。リンゴを買った、小さなリンゴ農家。ナベさんは、僕の家の分まで買ってくれた。会話の一つ一つが、鮮明によみがえる。

彼のようになりたくて、彼のような写真を撮りたくて、いつも彼の背中を追いかけていた若いカメラマン数人が、到着した家の前で立っていた。亡くなったその日に、ナベさんの家に向かい、一緒に一夜を過ごしたという。「剛さん、来てくれたんですね。ナベさんも喜びます。ありがとう」その言葉に心が揺れた。

家の中で、たらふく食べさせて頂いた、北海道から取り寄せたホルモン。美味しい臭いが、部屋中を包んだ。近くの温泉に行き、二人でのぼせる寸前まで写真の話をした。そして家に戻ると、奥さんが布団を用意してくれていた。

ナベさんは今、僕の寝ていたところで寝ている。今にも笑い出しそうな、何とも言えない穏やかな顔をしている。僕は手を差し伸べ、ナベさんに触れた。これでお別れだった。

庭にすらりと伸びた楓の木。ナベさんの安らかな寝顔。

ナベさん、ありがとう。