2010年07月27日

LESSEPSの人々

※ 南アフリカではネットが使えない環境にいましたので
  少しずつプレイバックして日々の動きを更新しています


僕がフリーランスになって既に3年が過ぎた。時の流れは本当に速い。3年前、勤めていた会社を退社して「LESSEPS PHOTOGRAPH」という名前で再出発した。LESSEPS(レセップス)とは、僕が18才の頃に語学を学び、そしてサッカーを楽しんだバルセロナにある地下鉄の駅の名前。当時住んでいた所の最寄りの駅がLESSEPSで、そこには毎日何度も通ったバル(BAR)があたったり、バルサの試合を見に行くのも、買い物に行くのも、学校に行くのも、いつもこの駅から1日が始まっていた。バルセロナは僕に、人生とまで行けば大袈裟かもしれないけど、多くの事を教えてくれた場所。高校卒業まで、サッカーしか知らなかった若干18の若僧が、右も左も分からないで歩いた。そんな僕にLESSEPSの人々は、いつも優しかった。

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FC.バルセロナの創立者の息子、ガンペルさんと知り合ったのは、僕が毎日通うことに決めていたバルで出会った。毎日ランチの15分前に現れて、僕の背後から強く肩を掴み「Torabajador!(働き者〜!)」と、学校にも何処にも行かず、1日4回もバルに出入りする僕を叱りつけ、その後に一杯やるのが僕らの毎日の儀式となっていた。当時既に80歳後半だったガンペルさんは、入れ歯をカタカタさせながら、バルサの会長(当時)ヌニェスの悪口を話し、それからスポーツ新聞の見出しを見て議論をする。これがいつものパターン。バルの名前は「EL CANARI (エル・カナリ)」。オーナーのあだ名はウィリー。僕と彼の付き合いは今年で20年。僕のスペイン語の先生であり、時にサッカーうんちく術の先生であり、僕の兄弟のような存在でもある。ガウディのグエル公園に行った人は、もしかしたらLESSEPS駅を降りて、このバルに寄っているかもしれない。これから行く人は、是非寄って欲しい。別に普通のバルだけど、その普通がイイ。そしてここのバルの従業員は皆が家族。忙しなくよく働く姿を見ているだけで、そこに行く価値があるのかも知れない。「YOSHIの紹介で来た」と言えば、カーニャ(生ビール)一杯くらいはサービスしてくれるだろう。サービスしてくれない場合は、嘘でも「俺はレアルマドリードのファンだ!」そして「YOSHIの紹介で来た!」と付け加えれば間違いはないだろう。ただ、これはウィリーにしか通用しない。他のカマレーロと、99%のお客さんはバルサファンなので、摘み出されないように注意してもらいたい。当時、僕が余りにもバルサの熱狂的なファンだったので、ウィリーは自分がマドリーのファンと言うことを何年も打ち明けられないでいたそうだ。あの当時、UEFAもチャンピオンの予選も、僕は夜行バスにのり、発煙筒と遠投用のオレンジをポケットに忍ばせて遠征していた。ウィリーがマドリーのファンだと知ったのは、出会ってから10年も後の事だった。

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何の話しをしていたのか・・・  あぁLESSEPSの由来の話しだった。ガンペルさんにしても、ウィリーにしても、バルでひょっこり会った客さんも、昨日のことのように思い出がよみがえる。今までの僕の人生で一番、記憶に残る日々、そして何事にも挑戦をした地が「LESSEPS」だった。

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